医療者の傲慢~医療者と住民が対話するために?

 昨日、みんくるプロデュース・empublic主催の公開シンポジウム「住民と医療者が、ともに地域の医療を育てるために何ができるか?~対話へのアクション・プランを考える」に参加してきた。

 内容は、千葉県東金市のNPO「地域医療を育てる会」の取り組みの発表、パネルディスカッションを経て、では「住民が地域医療に求めることは?実現に必要なことは?」というテーマで、参加者ごとにカフェ型トークをしよう、ということになった。
 カフェ型トークとは、テーブルごとに数名で決められたテーマについてフリートークを一定時間した後、ファシリテーターを除く参加者が、他のテーマのテーブルに移り、そのテーブルで行われたトークを振り返った後に、再度新たなトークを付け加えていく、といった形式(それを繰り返す)。

 最初に座ったテーブルで面白かったのは、ある医療職の方だが、いきなり「そもそも私、『地域医療』って言葉、嫌いなんだよね!」から始まり、そもそも地域医療って何だ、なぜ「地域医療」という言葉が嫌いなのか、といったところで盛り上がったことである。
 そこで得られたものは大きかった。なぜなら、自分もこのテーマに違和感を感じていたからである。地域医療に多くの住民を巻き込む必要がある、というのはこちらのニーズだが、それはそのままでは地域住民のニーズにはなり得ないのではないか、そもそもそれを「ニーズとして認識させよう」といった考えそのものが「医療者がいかにも考えそうなこと」ではないのか、という違和感である。

 最近、「医療職と一般の方が、診察室を出て、カフェのようなリラックスした雰囲気で同じテーブルにつき、トークをする」といった取り組みが全国的に注目されており、メディアでも取り上げられている。
 もちろん、こういった取り組みは大切なことだし、面白いと思う。特定の目的にとっては有用である面も多いだろう。
 しかし、「対話の場」として、それはふさわしいのだろうか?という違和感はぬぐえない。
 そこに参加している一般住民の方は、やはり元々何らかの疾患を持っていたり、家族や知り合いに病気の方がいたり、といった「元々関心の高い参加者層」が多いのではないか。そうなると、それは一般市民、というくくりというよりかなり偏りのある集団でフローしているに過ぎず、それだけをもって一般市民との対話がなされている、と考えるのだとしたら違うのでは、と思うのだ。

 そもそも、医療者が主催すると必ず健康や福祉、といった類の話になるが、それでいいのか、という思いもある。「地域医療集会」とか「市民公開講座」、などを企画しただけで(もちろん情報提供などの目的では重要な意味もあるが)、地域住民と交流を図ったつもりになっているのだとしたら大きな間違い。そもそも「医療職と市民が」というテーマ自体が違和感だ。それこそ、医療者が自分たちの仕事を特別だと思っている証拠じゃないのか、と。「八百屋と市民が」なんてテーマの集会なんて聞いたことがないだろう。
 医療職なんて、別に特別な仕事ではない。こちらに意識下にでもそういう気持ちがあるから、これまで壁が作られてきたのではないか。市民を本当に巻き込んで色々と活動していきたいのであれば、そもそも自分も市民の一人なのだから、医療職という立場を離れて、もっと地域に入っていけばいいのではないか。警察官の●●さん、八百屋の○○さん、主婦の××さん、と医師である自分、何も違いはない。従事している仕事が違うだけだ。まず、地域の方々が何をしているのか?というところに興味をもって、入っていくこと。自分たちがやっていることよりももっと面白いことをみんなは考えているよ。

 そもそも、典型的な「医療者」の考える企画は説教くさい。テーマが必ず「健康と○○」「○○の予防」「死と○○」とか、そんなのばかりじゃ元々関心が高い人しか来ないのではないか?真面目くさくて、オシャレじゃない。そのようなテーマを設定したがるところにこそ、医療者の傲慢があるのではないか?住民は健康について興味を持つべきだ、私達が予防について導いてあげないと、とどこかで思っていないか。普通の市民が、そんなに「健康」に関心をもってくれるとは思えないのだけど。

 私達の求めるアウトカムは何か?それを達成しながら楽しめる企画はできないのか?
 例えば、地域の方々にもっと歩いてもらうことで健康度を上げてもらいたい、と医療者側が思っていたとする。その場合、典型的な医療者が考えることは「まちを歩いて健康に!目指せ1万歩ツアー!」を企画することだったりする。しかし、それをちょっと変えて「まちに隠れる○○を探しましょう!写真を撮って景品ゲット!」とかに変えるだけで、参加者はより増えるだろうし、楽しげで説教くさくない。それでいて、どちらも町を歩くことには変わりないのだから、私達の求めるアウトカムも得られている。あくまで健康を意識してもらわないとならない、と考えているのなら、それこそが傲慢だろう。気がついたら、地域が健康になっていた、というのは理想に過ぎるだろうか?

 医療者は、もっと謙虚にならないとならない。
 医療者であるという前提を捨てよ。市民であるという意識を取り戻せ。私達は、求められたときだけ、医療者としてプロであればいい。
 話を聞いてもらうにしても、「井田病院の西先生」よりは「何丁目に住んでる西さん」の方が聞いてもらいやすいんじゃないか?ついでに酒でもあればサイコーだね!

 
 逆転の発想だが、みんながともに地域の医療を育てるには、それが一番の近道なのではないかという考えを再認識した(少なくとも自分の住む地域においては)。それに気づかせてくれた昨日のシンポジウムは、自分にとってとても有意義なものであったと思う。本当に感謝したい。
 
 
 
 
 
 
 

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