投稿

12月, 2013の投稿を表示しています

言葉は、薬であり毒でもある

「お体の具合は、いかがですか?」
「今日は寒いですね」
「夜は、よく眠れましたか?」

私たち医療者は、日々患者さんやご家族に、たくさんの言葉をかけている。
言葉というのは簡単に口に出せるけれども、その分、その扱いには注意が必要だ。
特に、医療者が発する言葉は、薬になることもあれば、毒になることもある。
医療者が、そのことに無自覚であることは危険だが、思ったよりもそういった危険な例は多い。

「セカンドオピニオンに行くのであれば、私との信頼関係が損なわれますよ」
「余命は1ヶ月程度と思われます」
「モルヒネを使うと苦しみはとれますが、いのちが短くなる可能性があります。使ってもいいですか」
1年以上前に、医師から言われた不用意な発言にずっと捕らわれ続けている患者さんもいる。

特に意識すべきなのは、私たちの安心のために患者さん・家族へ「毒となる言葉」を告げていることだ。
近年のインフォームド・コンセントをしっかりとりましょう、という流れは一部おかしな方向へ走り出している。「事実を告げること」は大事だが、その現実に対する答えを医療者が持っていないが故に、その答えを出す作業ごと、家族へ押しつけている例だ。
例えば
「がんで消化管に穴が空いたようです。元々の余命も1ヶ月程度でしたが、すぐに開腹手術をしないとすぐに亡くなる可能性があります。ただ、手術自体で亡くなったり合併症で苦しむ可能性もあります。さあ、どうしますか?」
「お父様は誤嚥性肺炎を繰り返し、もう口から食べ物をとるのは難しくなっています。栄養を取らないと餓死の状態になりますし、それを避けるためには胃瘻の手術が必要です。さあ、どうしますか?」
一見、どこが「毒」かわからないかもしれないが、実際にこの決断を迫られた家族は、どちらを選んでも「これで良かったのだろうか」という葛藤に悩まされることになる。そこまで考える想像力が私たちには必要である。

私たち医療者は、現場では常に不安を抱えている。
その人の人生を、ある程度左右する決断をしなければならない場面は何度もある。しかし、そういった場面において、自分が安心したいがために、患者さん・家族へその思いを押しつけてはいけない。
言葉はひとつひとつ丁寧に選ばなければならない(そう、まるで薬をひとつひとつ選ぶように!)。
選んだ言葉を、どういう順番で出していくか、きっちりと組み立てなけ…

【元住吉】がん哲学カフェ1月・2月予定

「がん」の悩みを 私たちと語りませんか?

「がん哲学カフェ」とは、がん患者さんとそのご家族と医療者とが、カフェのリラックスした空間で、対話するための場所。「がんであっても笑顔を取り戻し、人生を生きることが出来るように支援したい」と願う、順天堂大の樋野興夫先生によって発足されました。
「病気を抱えて、どうやって生きていったらいいのか」「これから、どんな治療を受けていったらいいのか」とお悩みの方へ。私たちとの対話を通じて少しでもお気持ちが整理されるよう、お手伝いをさせて頂きたいと思っています。お気軽にご利用下さい。

【開催内容】1/18(土)14時~17時 ・2/8(土) 14時~17時

※1日2~3組、各組1時間程度、がんの専門医師とがん看護専門看護師が、がんに関するどんな相談でも受け付けます(診療行為は行いません)。対象は「がん患者さん」「がん患者さんを支えるご家族」です。申込制ですので、お早めにご連絡下さい。

・開催場所:ida cafe
(川崎市中原区井田中ノ町33-9http://ida-cafe.com/)
※東急東横線元住吉駅西口から、ブレーメン通りを抜けて徒歩10分(850m)。井田小学校えんじゅ門の近隣です。

料金:無料 (飲み物は、各自ご注文下さい)

※予約がない場合は開催されないことがあります。 【申し込み、お問い合わせは下記まで、メール、FAX、または電話でお願いします】

緩和ケアは考えることを止めてはいけない

緩和ケアをする、というのは本当に難しい、と思うことがよくある。

そもそも、緩和ケアは誰のためのものか。

患者さんのためのものであり、
家族のためのものであり、
決して医療者や病院のためのものではない。
お題目としては、みんなわかっているはずであるのだが。

実際に病院にいると、「それって・・・」と思う場面に遭遇することは多々ある。

「食事を食べられなくなったのですが、点滴1本だけしかオーダーされてないですが、それで本当にいいんですか」
「酸素マスクを嫌がって外してしまうのですが、何とか説得して下さい」
「貧血が進行してきたのでとりあえず輸血します」
「意識の状態が悪くなってきた原因を調べるので全身CTと採血します」
とか。

もちろん、こういう選択肢が全て「間違っている!」というつもりはない。背景にある文脈や患者家族との対話の内容によっては、こういったことが是となることもあろう。
問題なのは「条件反射的に」こういった医療行為を進めていないか、という点だ。
緩和ケアの行為は、基本的に「対話」からスタートすべきだし、その行為に伴う様々な事柄も、「対話」を中心に進めていくべきだと私は思う。

例えば、患者さんが点滴を嫌がっている、でも家族は何も食べられなくなった患者さんが心配でしようがない、という場合。
まずは患者さんとよく「対話」する。点滴がどうして嫌なのか、点滴をすること、点滴をしないことがどういう意味をもつのか、家族の思いについて感じていることはあるのか、などなど。そして家族とも対話をする。患者さん自身の思い、家族の不安、などなど。もちろん、私たち医療者は、それに対してエビデンスや経験に基づいた理論を提供する。点滴をしないことは命を縮めるのか?これまで自分が診てきた患者さん達はどうしてきたか、そして医師として勧められる選択肢は。
そういった文脈の上では、「やっぱりもうしばらく点滴はしましょうか」の結論でも良いし「では、点滴は止めましょうね」でも良く、どちらが正解というものではない。ただ、緩和ケアの領域において、「食事がとれなくなったからとりあえず点滴」という、医療者側の考え方の一方的押しつけは避けたいのである。

緩和ケアは本当に難しい。
医療上の安全が、世間的にもますます厳しくなりつつあるなかで、緩和ケアといえども、そういった「対話」から生まれる選択肢すら取りにくくなっ…