『がんが自然に治る生き方』について

近藤誠をはじめとした、いわゆる「医療否定本」の類は、ここ数年で書店に急速に増えている。

これは、日本だけの現象なのかと思っていたら、海外でこの『がんが自然に治る生き方』が飛ぶように売れ、日本でも翻訳本がアマゾンでベストセラー1位になった、ということを聞き、「これも医療否定本の類かなあ~」と思いつつ購入してみた。

読んだ感想として、一言で言えば「危険」
ただ、いろいろと思うところもあったので、まず何が「危険」と思ったかから書いていこうと思う。



●「抗がん剤や放射線を否定しない」と書きながら結局否定的な印象を抱かせること

この本の大まかな要点だが、
世界には「がん」と診断され医師から厳しい余命を告げられながらも、そこから劇的な回復をみせ、がんが消えたり、長期生存した方達がいる。その方達は、これまでほとんど注目されていなかったのを、この著者が世界中を回ってインタビューや調査を行い、共通する行動パターンを明らかにした
というもの。
結果的に、9つの共通点と実践を明らかにし、それを患者さんのエピソードを交えながら書き連ねているのが本書である。

著者は、冒頭で「この本は手術、抗がん剤や放射線治療(いわゆる3大療法)を否定しない」と書かれているのだが、結果的に書かれている内容は「3大療法をしたけどダメだった。この9つの実践を行ったら治った」というもので、(意図はしていないにせよ)結果的に読者が3大療法について否定的な印象を抱くようなつくりになっている。
これまでの「医療否定本」は、過激な論調で医療を否定するものだから、「ちょっと極端だなあ」という印象を抱いて、結果的に(ちょっと慎重になりつつも)適当な医療を受ける、というパターンは多かった。

しかし、本書はそういった過激さが一見少ないところで(オカルトな部分はあるが)、結果的に西洋医学を否定するような流れを本の中で生み出しているところが「危険である」と私が考えた第一の理由である。
また、他の医療否定本やがんビジネスの方々と一緒で、3大療法を受けて治った事例なのにそうは書かず、併用した他の方法が効いて治ったのだ、と書いている事例も散見される。


●「これは仮説である」と言いながらも「明日から実践しましょう」の論調

もうひとつの「危険」は、これまた冒頭に示された「これは仮説である」の一文。
実際、この著者が行った研究は、がんになって治った人達の事例を集めて「共通点をまとめた」だけであり、確かに「仮説」の息を出ない。

しかし、これもまた本書を読むとそんなことは頭から抜けてしまうようなつくりだ。
仮説、という一文があるからといって、この本を読んで医療を受けることをやめ、この本の通りに実践してもし生きる時間を短くした例があったとしたら、それは免責されるものではない。


●「それってどうなの」な代替療法を多数紹介している点

本書では、3大療法ではなく他の代替療法で治った、とうたっている事例がいくつか出てくるが、その全てが科学的には検証されていない、もしくは否定されたような内容である。中には宗教がかった、ちょっと背筋が寒くなる部分もある(瞑想などそのものを否定はしないが)。

代替療法を受けながら健康的に過ごしている例がある、ということを私は否定しない。
しかし、その影でそれら治療法を受けながらも亡くなっていく方々が本当にたくさんいるのだという事実は厳然としてある。そのことに触れず、一部の「まれな事例」ばかりを取り上げ、それが万人にとって効果がありそうな書き方をするのは、やはり「危険」と見なさざるを得ない(先ほども述べたように「仮説」と思えないような書き方だから)。

数々の医療否定・代替療法礼賛系の本を読んでいて思うことだが、テーマは全て「治るか、治らないか」で、治れば勝ち・幸せ、治らなければ負け・不幸、という価値観があるように思える。それは本書においても見受けられる価値観である。
人はみな、すべからく死に向かっているというのに?だとしたら、人間はどうやっても幸せにはなれないということではないか。

3大療法では幸せになれない、ということをこういった本などでは繰り返し主張されることだし、巷ではそれが真実だと思わされている面もあるかもしれない。
しかし実際には、3大療法を受けて治った方々は、少なくともこういった代替療法などで治った方々よりも間違いなく大勢いるし、何かと悪者にされがちな抗がん剤ではあるが、かなり厳しい余命と言わざるを得ない全身にがんが転移した患者さんでも、これで治るという方も決してゼロではないのである。
そして、これら3大療法+緩和ケアで、治らないまでも、生きている時間を延ばしたり質の高い生活を追求することで、結果的に幸せと思われる人生を全うする方々もいる。

本書は、海外の誠実そうな心理士の方が書いていて信頼できそうという印象を抱かせる点、これまでの医療否定本と異なる優しげな装丁、そして先に述べた「3大療法否定しない」「仮説」と言いながらも読後にはそれを忘れさせるような構成、といった点から、個人的にはより注意を払って読むべき本であると考える。

●幸せとは何か、という命題

ここまで、本書に否定的な意見を書き連ねてきたが、じゃあこの本は読むべきではないか、というと、読んでおいて悪くない本ではあると思う。

私たち医療者は、毎日のように患者さんやご家族に厳しい言葉を伝えている。病名の告知、短い予後、予想される治療の副作用、だんだんと体力が落ちていく経過など・・・。
ある医師はそれらの言葉をもって「呪い」と表現していた。我々医療者は日々、患者さんに「呪い」の言葉を吐いているのだと。確かに、呪いのようなものかもしれない。これらの言葉をもってして、患者さんの気持ちを下げこそすれ、前向きにする要素はひとつとしてないのだから。
患者さんが代替療法などを受けたい、という希望を出したときもそれを頭ごなしに否定していないか。それもある意味「呪い」で、患者さんがその治療法と前向きに生きていこうという気持ちまで萎えさせていやしないか。
「もう先は長くないので、あとは自分の時間を大切に過ごして下さい」という類の言葉をかけられて、いったいどれほどの人が「自分の時間を大切に」過ごせるのだろうか。死に向かって、前向きに生きる、というのは並大抵のことではない。我々医療者は、この無配慮を反省すべきである。

がんサロンなどで出会う患者さんは、前向きな方も本当に多いが、死に向かって前向きというよりあくまでも生に向かって前向き、自分の人生を生き抜く、という決意を感じる。こういう方々と接していると、緩和ケアで教えられる「死を見つめ、受け入れることが大切」といった表現が本当に嘘くさく思える。
ただ、その方々も何もせずに突然そういった心境になるわけではない。皆さん、多くの葛藤や苦しみを乗り越えた上で、そういった生き方を選んだ、というところである。誰しもが簡単に乗り越えられるような道程ではない。その歩みの手助けとして、本書は助けになる部分もあるのではないかと思えるのである。
特に「治療法は自分で決める」「より前向きに生きる」「『どうしても生きたい理由』を持つ」といった部分は、私も同意できる部分も多々ある。

医療の目的は命を延ばすことか。
答えは「No」である、と私は考える。医療の本当の目的は「人生を幸せに生き抜いてもらう手助けをすること」である。
実際、「幸せ」はそれぞれの人によって違うものであるし、量的に(厳密には)計測できるない。一方で、命の長さは明確に計測ができる。なので、長く生きることは「幸せ」を測る代替指標のひとつに過ぎないのだと思う。

本書では、がんが治って長く生きる、ということを絶対的な価値としている。しかし、この9つの実践で万人が治るわけではない「仮説」である以上、この本をそういった「治療の手引き」としてとらえるならそれはやはり危険である。ただし、その点に注意して、前向きに生きるためのヒント、がんを持ちながら生ききるためのヒントを得るための本としては、読む価値がある。

我々医療者は、科学者として伝えるべきことはきちんと伝えるべきだし、危険な治療法や詐欺に患者さんが向かおうとしているのなら、それは止めるべきである。しかし一方で、患者さん達がいかに前向きに人生を生ききることができるかを常に考え続けないとならない。それは「自分らしく生きて下さい」と通り一遍の言葉をかけることでは決してない。私自身にもまだ答えはないが、科学者である人間として、患者さんと向き合う覚悟がまずは大切であると思う。

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