投稿

2017の投稿を表示しています

生と老と病と死のワークショップ

イメージ
「生と老と病と死のワークショップ」
名前だけ聞くと、「なんか怖そう」「宗教なんじゃない?」と思われるかもしれませんが実際には、
話して、
笑って、
ちょっとだけ涙する。
怖くはないけど、感情が大きく揺さぶられる体験をするのは確か。

今回は申込が殺到し、開催1か月以上前にチケット完売。
申込をお断りをしなければならないほどの盛況ぶり。


生と老と病と死のワークショップでは、生老病死の疑似体験から、自分の価値観を見つめていこうという試みですが、ここに「正しい答え」はありません。
私はナビゲーターとして私なりの考えや、皆さんが考えるヒントを提供しますが、私が言っていることは私の価値観ですし、それが皆さんと違うのは当たり前です。
そして、途中に何度かグループ内で対話をする時間があるのですが、そのメンバー個々での価値観が異なるのも当然で、その異なる価値観が出会うことで、新たな価値観を得ようというのがこのワークショップの醍醐味です。

参加した方々からは
「皆さんとのディスカッションで豊かになれた」
「対話により感情が揺らぎ、とても温かい気持ちになれた」
「グループ内で自分の考えの無意識的な部分を指摘されてハッとした」
という意見も。
参加するごとに、そのテーブルに座った方々との関係性で、得られるものが変わっていきます。
私は、これは単なるワークショップではなく、アートと考えています。
こういった、人との関係性から作られるアートのことをリレーショナルアートと呼びますが、このワークショップで得られるものはまさに、自分にひとつだけの作品です。

「生老病死」について、普段は考えたこともないかもしれませんし、ましてや他の人と対話するなんて経験もそうそうできるものではありません。
今回、参加者の方々から頂いた意見をもとに、またブラッシュアップしていきますので、ぜひご参加ください~!

****************
次回は2/25(日)に開催予定です。
募集は12月になってから開始しますので、少々お待ちください!

※法人・団体様向け「生と老と病と死のワークショップ」の御案内
・内容:法人・団体様の御都合に合わせて、任意の曜日・時間で設定が可能です。当法人から医師、看護師などスタッフを派遣しますので、候補日をいくつか頂き、こちらから派遣可能かについて打ち合わせを行います。まずは「お問い合わせ…

超福祉展が描く未来

イメージ
今年も、「超福祉展」行ってきました。
 超福祉展とは、


障害者をはじめとするマイノリティや福祉そのものに対する「心のバリア」を取り除こうと、2014年より毎年11月の一週間、渋谷ヒカリエを中心に開催を続けている展示会です。
思わず「カッコイイ」「カワイイ」と使ってみたくなるデザイン、大きなイノベーションを期待させてくれる「ヤバイ」テクノロジーを備えたプロダクトの展示・体験に加え、従来の福祉の枠に収まらない魅力的なプレゼンターたちが登場するシンポジウム、多彩なワークショップなど、さまざまな企画を展開してきました。。
(公式Webサイトより http://www.peopledesign.or.jp/fukushi/
という企画です。
 今年で4回目を迎えるとあって、メディアの注目度も高く、既に多くのレポートや報道が出ていますね。
 超福祉の定義はこう。
一人ひとりの心の中に存在する、障害者をはじめとしたマイノリティや福祉に対する「負い目」にも似た「意識のバリア」。 “超福祉”の視点では、従来の福祉のイメージ、「ゼロ以下のマイナスである『かわいそうな人たち』をゼロに引き上げようとする」のではなく、全員がゼロ以上の地点にいて、混ざり合っていることを当たり前と考えます。ハンディキャップがある人=障害者が、健常者よりも「カッコイイ」「カワイイ」「ヤバイ」と憧れられるような未来を目指し、「意識のバリア」を「憧れ」へ転換させる心のバリアフリー、意識のイノベーションを“超福祉”と定義します。 (公式Webサイトよりhttp://www.peopledesign.or.jp/fukushi/
「超福祉」の世界では、 単に健常者が障害者を支える、というイメージではなく、障害がある部分をテクノロジーが補完し、健常者と同等もしくはそれ以上の能力を有することだってあるわけです。
 また、これまでは障害のある方が使う道具だった、車椅子や補聴器なども、この超福祉の世界では、誰しもが普通に使う世の中になる。
「あれ、なんでお前今日は車椅子使ってねーの?」
と、「なんで今日メガネじゃねーの?」と同じようなノリで会話がされる。ここではもう、足が不自由な人と、そうでない人の境界はない。思えば、メガネだって昔は医療器具として、それを使っていること自体が恥ずかしく、分断を招くツールだったけど、今では…

polcaによる暮らしの保健室支援

イメージ
今月から、「polca」を利用した、暮らしの保健室への支援金募集を試験的に開始しています。

polcaで暮らしの保健室を支援する →https://polca.jp/projects/5ozCwJ4FEDm

「polca」は、クラウドファンディングでおなじみのキャンプファイヤー社が提供する、フレンドファンディングアプリ。
 クラウドファンディングと比べて、大人数へ訴求するツールではなく、またリターンも簡易なもので良く、支援金も500円など少額で設定できるので、企画者も支援者も手軽に始められるというメリットがあります。また、2017年11月の現時点では決済・振込手数料とも無料なのでその意味でも気楽です。

 今回、このツールを取り上げたのは、暮らしの保健室運営への資金集めをしたいこともありますが、もうひとつは「このサービスを多くの仲間たちに知ってほしいと思ったから」。
 特に医師は、「マネーリテラシーが低い」と一般的に言われていて、なんでかなーとは思うんですけど、自分もそうでしたから否定できない…。

 polcaが使えるシーンとしては例えば、
 ちょっとした企画を行いたいのだけど、数千~数万円が足りない…というとき。クラウドファンディングを行うにしては大げさ。

 そんなときにpolca。

 仲間内でのイベントのお金を事前決済したいなあー。振り込みだと面倒。

 そんなときにpolca。

 といったように、これまでお金のやりとりをするのに面倒だったり手数料が発生する部分を全部なくしたサービスがこのpolca。実際に、このサービスを利用して、多くの方々が興味深い企画をどんどん立ち上げています。
 是非みなさんも、このサービスを知って頂き「お金がなめらかに動く社会」を感じてみてください。

※私自身はキャンプファイヤー社に対していかなる利益相反もありません。

*********************************
暮らしの保健室の運営のため寄付のお願いをしております。

polcaで支援する →https://polca.jp/projects/5ozCwJ4FEDm

BitCoinで支援する →3BEQPRZHw4xHVPoGooCn1T469yJ53iHr7w







振込で支援する →
銀行名 横浜銀行
支店名 元住吉支店
口座種類普通
口座番号6061945
口座名義シヤ)プラスケア

シェア金沢に、行ってきた

イメージ
一般社団法人プラスケアでの研修旅行で、「シェア金沢」に行ってきました。
 シェア金沢とは、「日本版CCRC(Continuing Care Retirement Community)」と呼ばれる場所。
 CCRCとは、高齢者が入居し、元気な方も介護や医療が必要になった方もみんなで支え合いながら過ごすことが出来るコミュニティの事を指します。しかし、シェア金沢は、高齢者限定ではなく、学生や障害をもった子供たち、またそのエリア以外の方々とも交流することを想定した「ごちゃまぜの町」です。


 訪れた日はあいにくの雨でしたが、小雨になると町の方々が出てきてくれたりして、ここでの暮らしぶりを伺うことができました。
 シェア金沢の中には、温泉があったり、マルシェがあったり、ジャズバーがあったりして、それぞれの場所で多世代が集まって思い思いに時間を過ごしていました。雰囲気的には、大きな家族、みたいな。そのように、たまり場ができてコミュニケーションが自然と生まれる仕掛けが町の中に多くデザインされていることが大きいのでしょう。
またある場所では、子供が大人にギターを教わっていたり、高齢者が売店の店主をやっていたり、美大の学生がカフェの窓に作品を描いていたり、障害をもった方がアルパカを散歩させていたり。誰もがこのまちのアクティビティに「参加」している。このまちでは誰も、「お客さん」ではない、という雰囲気が感じられました(実際にはそうでない方もいるでしょうけども)。実際、ここに入居する学生さんは、家賃が減免される代わりに、月に30時間のボランティア活動をしなければならないのだとか。

高齢者や障害者の方々と暮らす町を作る、というと、どうしても「健常者の側が、弱者である方々を支援する」というだけの発想になりがちです。もちろん、支援も必要なのですが、明確に「支援する側」と「お客さん」に分けるコミュニティが果たして誰にとってもよいコミュニティといえるでしょうか。
 誰しもが、そのまちの活動に参加することができ、そのまちで「役割」を果たすことができる。それを実現するためには、単に「意識を変えていきましょう」と声かけをするだけではダメです。シェア金沢のように、町なかに散りばめられた様々な仕掛け、デザインが重要であり、また今後の技術革新を大いに取り入れていくことで、どんな多様な個性を持っていたとして…

宗教を忌避していると、結果的にカルトにはまる?

イメージ
最近
「宗教みたい」
と揶揄される事態が多く発生したので考察。

例えば画像にある「生と老と病と死のワークショップ」。
色々なところで宣伝させてもらったが、一定数で「それって宗教系?」と怪訝な顔をされる方がいらっしゃる。



まあ、実際に参加されればわかると思うんですけど、
宗教か宗教じゃないかと言われれば、

これは宗教ですよ。

日本は「宗教」といったときにイメージが悪すぎるんですよね。
恐らく、20世紀末に流行ったカルト系宗教なんかをイメージしているんでしょうけど。
多くの患者さんに「信仰されている宗教は?」と尋ねると90%の確率で「ありません」と答えられますしね。中には「信仰?宗教なんてとんでもない」と全力で否定される方もいますし。


でも、実際に人間が宗教なしで生きていけるかっていうと、それはないと私は思っているんです。
これはもちろん宗教の定義によるけど、宗教の定義自体、宗教家の数だけあると言われているくらい確たるものはないみたいで。
ある定義では、「超越的なものに対する信念」とされているので、それで言えば、科学だって宗教だし、医師はシャーマンのようなもの。最近だとAIを信仰する宗教なんてのも出てきているし、決して神とか教祖を信じることだけが宗教ではない。そもそも「本尊」のような対象を信仰するのではない宗教だって世の中にはあるしね。

「生と老と病と死のワークショップ」は対話を中心としたアートなので、私が教祖のように何かの教義を押し付けるような場ではない。
でも、それによって自分の人生と向き合うという体験は、間違いなく宗教に通じるものだと思う。
信じるものがなければ、人は生きていけない。その対象は、自然でも科学でも自分自身でも、もちろん神でもいい。
宗教が必要がないと言っている日本人は、実際に自分が危機的状況に陥った時に慌てふためいて「本尊」を探し求めるから危ないと私は思っている。
それこそカルト宗教的なものにはまってしまうんじゃないかとね。

*********************************
暮らしの保健室の運営のため寄付のお願いをしております。

polcaで支援する →https://polca.jp/projects/5ozCwJ4FEDm

BitCoinで支援する →3BEQPRZHw4xHVPoGooCn1T469yJ53iHr7w







振込で支…

剥き出しの個人

イメージ
先日、「現代の魔法使い」落合陽一さんの番組を見ているときに「日本が再興するためには、西洋的思想からの脱却が必要だ」という言葉があったんですね。
明治維新をきっかけに、新政府の樹立、そして欧化政策の推進によって日本に西洋思想がどっと入ってきて、さらに戦後にアメリカの思想が混じることで、日本が本来持っていた特性が失われてしまったということ。そのために、日本全体がぐちゃぐちゃになってしまっていると。
自立した個人ではなく、孤立した個人になっている。
だから、日本を再興するという時に、ヨーロッパやアメリカの何かを参考にしようという視点から、日本人にはそもそもどういう社会・思想構成が最も合っているのか、という考察を始めなければならない、と言っています。

これは、自著でも考察したことですが、日本人は少なくとも「神」を唯一絶対とし、それと対峙する自我としてのキリスト教的文化圏の価値観とは大きく異なる、先祖や自然とのつながりを重視した儒教・仏教・神道などが習合した形での宗教観を、儀礼としては失われていても、生活・観念レベルまで浸透させる形でもってきた民族といえます。
しかし、近年においては、西洋的な自由主義・個人主義の浸透や、旧来の「イエ」や「ムラ」制度の喪失から、生活習慣レベルで残っていた様々な宗教的営為までも徐々に失われつつある中で、現在の日本は、伝統的な「日本人」としてのメンタリティと、西洋的な自由主義個人主義的価値観が、社会的にも個人的にも混在している状態といえます。

そのため、「イエ」「ムラ」を基盤とした家族や地域間の紐帯にその思想的基盤を頼むわけにもいかず、宗教的基盤を持ち出すことも難しく、かといって西洋の価値観だけに寄ったような意思決定を行うことも一律にはできません。言うなれば、イエ・ムラや宗教といった「自分を守る鎧」としての枠組みが弱くなってしまった現代の日本人は、裸同然の「剥き出しの個人」として社会と対峙しなければならなくなりました。

これからの日本においては、宗教性の減退や家族の解体はよりその歩を進め、地縁としてのコミュニティとの繋がりも希薄となる社会へと向かっていく可能性はあります。もちろんそのようにならないことが理想ではありますが、少なくともこれまで日本人なら常識的に利用可能と考えていた前提としての「信仰」や「家族やコミュニティの繋がり」なども、その形が変…

モノシステムからマルチシステムへ

イメージ
皆さんこんにちは。
今日は、「モノシステムからマルチシステムへ」という話。
要は、医師‐患者関係という単一の関係からの患者の解放というお話です。


これは、図にも示したんですけど、少なくとも20世紀後半から2010年くらいまで、「医師と患者はマンツーマンの関係」というのが、患者側にも医療者側にもあったんですよ。

それが「チーム医療」という名の下に、患者も含めて看護師や介護士や薬剤師など他の職種も全員でチームを組んでやっていきましょうというのが提唱されてきた。
でも、実質的なリーダーは誰か、というと大体の現場では医師がそのリーダーを担っていて、他の職種は医師に指示されるがままに動いている「チーム」なんていうのもたくさんある。そして外来を持っているのもほとんどは医師だから、結局のところ「医師-患者関係」というのが最も重要な関係性となることは構造的に当然なわけ。

これが、いわゆるモノシステムの世界で、もちろんその医師が優れた名医であれば問題ないんだけど、多くの患者は医師を選ぶことはできないわけで、場合によってはこの医師‐患者関係に患者がしばられてしまって、苦しい関係性から抜け出せないという場合も多々ある。
「主治医の先生と上手くいかない、私の気持ちをわかってもらえない」
なんていうのはよく聞く話。
医師の方が一般的に多くの情報や治療方針決定についての権限を持っているため、患者は自分の体のことにも関わらず、相対的に弱く脆い立場におかれている。

この問題を解決するために、これからはマルチシステムの採用が主流となるし、そうしていくべき。
マルチシステムでは、医師‐患者という単一の関係性から、その医師とは利害関係のない第三者の介入が入ることで、患者や家族がエンパワメントされ、対等な医師‐患者関係を築いていこうというもの。
例えばうちらが取り組んでいるプラスケア(暮らしの保健室)の機能はまさにそれ。
暮らしの保健室を利用することで、病院ではできない情報整理を行ったり、診察室への看護師同行などを行うことも、そのマルチシステムの一環ということ。
病院内の看護師や相談員でも、もちろんこの役割を果たすこともできるんだけど、組織に従属している意識だと、患者・家族側に立てない(利害関係がある)からマルチシステムにならない。時には組織や医師に反抗しても、患者・家族側に立つ勇気があるかが問われるわ…

「希望」とは何か

イメージ
みなさんこんにちは。

今日は「希望」について少し考えてみたいと思います。
 「希望」といっても、昨今ニュースを騒がせている「希望」の話ではないです。

 今回取り上げるのは
●効果未確認の免疫療法 12の拠点病院が実施
というNHKのニュースについて。
要は、国ががんの標準治療を日本全国どこでも受けられるように整備してきた「がん拠点病院」で、科学的に効果も安全性も確認されていない免疫細胞療法が、患者さんの自費診療として行われていたのが問題ではないか、という内容です。
結論から申し上げますと、こういった治療法を「臨床試験以外の方法」で行うことは倫理的に問題があり、行うべきではないということは明白です。ただ、今日私が取り上げたい点はこの点ではなく。

このニュースの中で、免疫細胞療法を擁護する側の言葉として、
「この治療を受けていることが心の支えとなる」(患者さん)
「患者が希望しているから」(医師)
というものがあります。

こういった論点は、免疫細胞療法だけではなく代替療法や、また明らかに適応外の抗がん剤治療を行う時などに必ず出てくるものです。
要は
「患者が治療を希望し、医師がその希望に応える」
そのどこが悪いのか?ということです。


●「希望」とは何か?

そもそも「希望」って何なんでしょうか?
これはこの数年くらいずーっと考えているのですが、言葉にするのはなかなか難しいです。
でも、ひとつ言えることとしては、患者さんにとって「治療そのものだけ」が希望、ということが大多数に当てはまることなんだろうか?ということ。
その治療を通じて、家族と変わらずに暮らしたいとか仕事を今まで通り続けたいとか、色々な希望があるはずで、本来こちらの方が「真の希望」と言えるものなんじゃないかな、と。そうであれば、抗がん治療を続けることだけが、その方の希望を支えることに本当になるんだろうか?ということになります。
ほとんど効果のない(場合によっては有害な)抗がん治療を続けるのと、それらを止めて緩和ケアに専念をするのと、結果的に生活が何もかわらない(もしくは緩和ケアを受けたほうが良くなる)のだとしたら?
それでもとにかく抗がん治療を受けることに固執される方がそこまでたくさんいるかどうか…。
そういった話し合いを、本当にとことん現場でやっているのだろうか?という点が疑問です。

もちろん、中には「抗がん治療…

「あとどれくらい生きられるのですか?」と聞かれたら

イメージ
拙書『「残された時間」を告げるとき~余命の告知Ver.3.1』が発売されてから2ヶ月ほどたちましたが、
「こういったことを解説してくれる本がこれまでなかった」
「患者さんと、こういった話をどうしていけばいいかわからなかったので参考になる」
「困っている部下や同僚にも読ませている」
といった感想を頂いています。ご好評いただいているようで何よりです。
※ご購入はこちらから⇒http://amzn.asia/cZ3ELp0

さて、「この本はどうやって作ったんですか?」というご質問を時々頂きます。
前著『緩和ケアの壁にぶつかったら読む本』については、まず出版社から企画の提案があり、それに従い執筆をしました。『緩和ケアレジデントマニュアル』についても基本的には同じ手順です。
一方で、この本は私が企画立案し、草稿を作って出版社へ提出した「持ち込み企画」です。それほど、この本には「多くの方々へ伝えたい」メッセージが込められています。

ただ、本を読んでもらえなければその伝えたいメッセージも伝わりません。
そのために、今回私がとった戦略が「マンガ」であり、その無料公開です。
マンガの持っている訴求性は、文字に比較して強い印象を読者に残しますし、仮に本屋でパラパラと立ち読みしてもらうだけでも、臨床現場への影響を与えられることを意識してシナリオを作りました。
私の細かい要求に逐一応じてくださった、漫画家のこしのりょう先生には本当に感謝しています。

ぜひ、1例目と2例目のマンガと、今回公開する3例目を比較して読んでいただければと思います。
1例目はこちら
2例目はこちら


『「残された時間」を告げるとき~余命の告知Ver.3.1』がいよいよ発売!

イメージ
『「残された時間」を告げるとき~余命の告知Ver.3.1』がいよいよ発売されました!
アマゾンでの販売サイトはこちら→  http://amzn.asia/4fWNZ1V

実際、がんや高齢者医療に携わっている医療者であれば「あと、どれくらい生きられるのでしょうか?」という質問は、患者本人や家族からしばしば問われるでしょう。
これまでは、その「問い」に対して個々人の経験からの中で試行錯誤したり、同僚医師のやり方を真似ることで対応せざるを得ませんでした。「余命をどのように伝えるべきなのか」について、国内で書かれた参考書はほとんどなかったからです。
海外の教科書には、記述がありました。しかし、その内容は必ずしも日本人にもそのまま当てはめられるものとは感じられませんでした。
なので私は、海外でのエビデンス、そして近年研究されつつある日本でのエビデンスをまとめつつ、日本古来からの文化や死生観を併せて記述することで、日本国内でも通用する「余命の告知」の方法をまとめたいと思ったのです。

伝え方がわからない、どのように伝えても患者を傷つけるだろうことには変わりない…それであれば「余命を伝えるべきではない」と考えることにも一理あります。
実際、私自身がそのように考え、そのようにしていたこともありました。
しかし、そのコミュニケーションでは、明らかに満足いかないという表情を浮かべる方々が数多くいました。
その時思ったのです。「患者さんたちはどうして知りたがっているんだろう?」と。

****************************************
症例:斉藤隆史さん(52歳 男性) 斉藤さんは都内の大手商社で部長職を務め、大きなプロジェクトを数多く動かしてきました。しかし、2年前に胃の不調を訴え、近医で胃カメラを施行したところ、胃癌の診断となりました。
近隣の総合病院で手術を行いましたが、1年前に腹膜転移にて再発と診断されました。その後は腫瘍内科を紹介され、抗がん剤治療を受けることに。しかし副作用も強く、薬剤の減量や変更などを行いながらなんとか続けてきましたが、「副作用のため仕事に集中できない。私にとっては今の仕事を続けられることの方が大切なのです」と、抗がん剤治療を断念。その後は地元の緩和ケア医を紹介され、通院を継続しながら会社にも通勤していました。幸いにも、がんに伴う…

「余命の告知」についての書籍を発売します!

イメージ
「自分があとどれくらいの時間をこの世で過ごすことができるのだろうか」と考えたことがある方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか。一度くらいは考えたことがある方はいらっしゃるかもしれません。しかし、それを日常的に考えながら過ごしている方となれば、数はぐっと少なくなるでしょう。

そこで、想像してみてほしいのです。突然あなたの前に現れた誰かが「あなたに残された時間はあと3か月です」と告げるということを。その時あなたはどのように感じ、そしてそれを告げた人物に対し、どのような感情を抱くであろうかということを。

「余命を伝える」ということは、医師にとっても難しいコミュニケーションのひとつです。
それにもかかわらず、それを学ぶ場というのは限られており、医師は日々試行錯誤しながら、患者さんや家族との対話に臨んでいます。

そこで今回、青海社さんから
大切な人に「残された時間」を告げるとき -余命の告知Ver. 3.1
というタイトルで、本を出版する運びとなりました。新城拓也先生、吉田沙蘭先生、武見綾子さんをはじめ、多くの方々にご協力いただいてできた本です。
6月頃に刊行の予定ですが、今回は作画を担当頂いたこしのりょう先生、青海社さんの御厚意で、書籍内のマンガ部分を特別に事前公開いたします!
ちなみに、このマンガは3部あり、残りの2部についても随時公開していく予定です。